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文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(6)
■ 6. 石橋文化ホール創世記(3)
「本間の行くところ合唱団が出来る」といわれるほど精力的に音楽文化創生に取り組んでいた本間は、文化ホール開館以前にも数々の合唱団を指揮、あるいは創設してきた。
本間は開館の翌昭和39年「箏とオーケストラとコーラス」企画の中で早速「久留米女声合唱団」を編成、その後「久留米音協合唱団」として永く本格的な演奏活動を続けるに至った。
またこの年、米替は市民の音楽発表の場としての「音楽祭」を提案、本間もこれに大いに賛同し、10月「第一回久留米音協音楽祭」開催。以後16年間毎年続けて開催された。その後一旦中断するものの平成元年「久留米市民音楽祭」(合唱祭・吹奏楽祭・アンサンブル)として復活、現在も「くるめ音楽祭」として開催され続けている。
石橋文化ホール開館からの約10年間は久留米の音楽文化創生期ともいえる時代だ。当時の歴史を紐解くと、世界的なアーティストの日本公演の会場に国内一流のコンサートホールの名前と並んで必ず久留米の石橋文化ホールが掲載されている。
今では考えられない話だが、福岡と久留米で同じ演奏会があれば、福岡からも観客が来るほどで、シンプルで響きのよい音質を提供するホールと、観賞ばかりでなく市民自ら歌い、演奏し、楽しむという活力を生み出したのは、石橋正二郎、幹一郎両氏の崇高な理念、そしてその意を大いに汲んで活動した本間や米替ら創生期のスタッフの情熱に他ならない。文字どおり久留米発の音楽文化の発信であり、その後この地から輩出するたくさんの文化人を育んだ土壌を創ったといえるかも知れない。
さて、石橋文化センター開園10周年を迎えた昭和41年、久留米音協の例会が行われた文化ホールに一世を風靡した時代の寵児が初めて登場する。
その名は「中村八大クインテット」
DATE:Oct.2005 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。