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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(5)

■ 5. 石橋文化ホール創世記(2)

文化の仕掛人

「文化センターの米替です」

傍示からの依頼を受け石橋文化ホールのオープンを手伝うことになった米替は「寝ころび会」の面々が参画する観賞団体「久留米音楽文化協会」の事務局長に請われる。この時初めて正式に本間四郎と出会った。その後、久留米の音楽文化創生期を永く担っていくことになる。

昭和38年5月3日。石橋文化ホールは、九州交響楽団による祝典演奏で産声をあげた。「よい音響のホールを」という一点に集中して設計されたこのホールは、その構想通り、十分な反響とムラのない素直な音質で数多くの音楽家の賞賛を受けた。

公演のため久留米を訪れた團伊久磨氏は、ホールを案内する米替に「構想当時、響きの良かった杉並公会堂等に幹一郎さんを案内したが、このホールはウィーンの楽友会館の響きに似た良いホールだ」と語っている。

また、石橋幹一郎氏はその年の冊子において「多目的な用途を詰め込もうとすれば、本来の目的の音響効果を阻害する危険があり、いくら見かけが良くても値打ちはなくなる。多方面からの要望を申し訳ないが黙殺し、とにかく素質の良いホールを創ることに専念した」と述懐している。

九州初の本格的音楽堂となった石橋文化ホール。今でもその音楽的質の高さにおいて全国で群を抜くと云われている。

さて、「一ヶ月間のアルバイト」と文化センター常務理事から念を押された米替だったが、柿落としの10日間16種目のイベントを実施すべく、出演を依頼している各団体やテレビ局などとの打ち合わせを精力的にこなしていた。全ての催事が終了するも

「あと一週間居ってくれ」
「あと一週間…」
が続き、父親からは「もういい加減で辞めろ」と窘められてもいたが、とうとうその二ヶ月後・・・

「文化センターに入ってくれ」

文化振興会石橋文化センター部所属、米替誓志28歳。(続)



DATE:Aug.2005 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。

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