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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(9)

■ 9. 本間四郎と中村八大(3)

文化の仕掛人

70年代、日本の世相は大きく変遷していく。大阪万博、浅間山荘事件、沖縄復帰など大きな社会のうねりの中、プロテストソングと呼ばれ、当時の音楽シーンを席巻していた社会派フォーク時代から、井上陽水、荒井由美などの叙情的フォーク、ニューミュージック時代へ。「アイドル」などという言葉がポップス界に登場したのもこの頃だ。

「久留米を音楽の街に」という情熱を持ち「寝ころび会」を中心に音楽鑑賞団体として様々なエンターティメントを企画・招聘してきた音協幹事会だったが、次第に時代のニーズとの乖離を感じ始める。10年に渡って走り続けてきた幹事会は昭和48年、ついにその任を降りることになった。

同年行われた音響合唱団10周年の記念演奏会は多くの人の記憶に残る感動的なイベントになった。三部構成で、一部は声楽家立川清登との共演、二部は丸山豊作詞、團伊久磨作曲の合唱組曲「海上の道」初演、そして三部は中村八大とともに彼のヒットソングのオンパレード。今考えてみてもそれぞれひとつひとつが単独でエンターティメントになりうる超豪華メニューだ。

特に三部は、本場ブロードウェイや宝塚で活躍するニューヨーク生まれの振付家「中川くみ」が合唱団を直接指導、八大トリオの伴奏で、15曲をフルに踊りまくるというミュージカル仕立てで行われた。

八大は一ヶ月以上も前から練習のために中川氏を連れ来久、練習に取り組むという熱の入れようだった。大作曲家團伊久磨をして「私は前座でしたネ」と軽口を発するほどの充実したイベントになった。

「東京でも出来ないステージだよね」八大からこの様子を聞いた永六輔は「久留米は何て贅沢な街なんだ」と舌を巻いたという。本間との友情、そしてもちろん故郷久留米への強い愛着から八大が久留米の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。 (続)



DATE:Apr.2006 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。

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