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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(18)

■ 18. 久留米ATG(1)

文化の仕掛人

ATG(日本アート・シアター・ギルド)。テレビが一般的になり、大手映画会社が興業の成功が得易い娯楽映画中心になっていった頃、ヌーヴェルヴァーグなどの影響によって、日本においても新鮮な芸術映画への志向が高まる中、昭和36年11月に発足した。

ATGは発足以来、洋画と対抗できる日本映画として、芸術性の高い作品や学生運動や安保闘争など世相を反映する社会的な作品を生みだし、さらに大島渚、今村昌平、篠田正浩、寺山修司、市川崑、大林宣彦など今では錚々たる顔ぶれのすぐれた監督を育んでいった。

昭和42年、米替は久留米での定期的な映画上映を模索するが、なかなか理解が得られなかった。翌年に映画「モンパルナスの灯」を上映したのをきっかけに毎日新聞安藤記者を通じ、当時毎日新聞西部本社に赴任中だったATGの創立委員の一人、草壁久四郎氏に相談を持ちかけた。

草壁氏は文化振興会との交渉を快諾、ATG作品の久留米上映を積極的に支持し、毎日新聞の協力も確約する。

かくして久留米ATGの第1回例会作品、オットープレミンジャー監督の「野望の系列」チェコ映画「パラサイト」の上映に漕ぎ着けた。

だが、久留米ATGとはいっても実質、米替と安藤の二人だけで、第1回とはしたものの、長期継続運営のめども立っていなかった。

昭和44年「戦艦ポチョムキン」「大地のうた」を上映、観客にアンケートを書いて貰う。内容的に真摯なものを選び、観賞組織を作るためだ。米替は一人の青年に白羽の矢を立てた。

梶原龍二、22歳。(続)



DATE:Oct.2007 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。

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