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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(14)

■ 14. 本間四郎と團伊玖磨 丸山豊(2)

文化の仕掛人

團伊玖磨・丸山豊コンビの楽曲は、昭和43年の「筑後川」を皮切りにその後、昭和48年「海上の道」、昭和53年「大阿蘇」、昭和59年「玄界灘」とほぼ5年おきに発表されていった。委嘱作品であるこれらの楽曲は、当然の事ながらいつも久留米が初演だった。

「一人の作詞家と一人の作曲家がひとつの合唱団と20年もの間あたたかい関係を持ち続け、5年毎に新作を創る喜び、歌う喜びを分かち合ってきた例は、久留米音協合唱団と丸山豊さんと僕の関係以外、世界にもほとんど例がないのではないかと思う。嬉しい関係である。そしてこの三者を要となって結びつけ、このシチュエーションを作り上げてこられた方が、この合唱団の指揮者、本間四郎さんであること・・(中略)・・あたたかさの縁が立ち昇り続けている理由がはっきりと頷けようというものである」

これは、昭和59年の久留米音協合唱団20周年記念演奏会に寄せて、作曲家團伊玖磨氏により、プログラムの挨拶に書き綴られた一節だ。久留米の石橋幹一郎氏と親戚関係にあることもさながら、楽曲や数々の演奏を通して永年の類希な音楽交流の歴史を紡いできたことこそが久留米を「第二の故郷です」といってはばからなかった團氏の想いを物語っているのだろう。

これらの楽曲を携え、久留米音協合唱団は数々の受賞に輝く充実した活動を続けていく。本間らの精力的な音楽活動の充実とともに、その後久留米では吹奏楽でも設立当初3団体だった吹奏楽連盟は27団体に増加、また合唱団から巣立ったたくさんのメンバーもママさんコーラスや様々な混声合唱団の主要メンバーとして活躍を始めていた。

石橋文化ホール創設の頃に「寝ころび会」が標榜していた「久留米を音楽の街に」という目的が着実に実を結んでいったのだ。 (続)



DATE:Feb.2007 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。

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