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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(2)

■ 2. ヨットは岩登りのごつ面白か

文化の仕掛人

「久留米は青木繁、坂本繁二郎、古賀春江を生み出した土地。それに連なる多くの画家を輩出し、今も久留米で活躍する画家たちが居る。しかし、十人の画家が飯を食えるより百人の日曜画家が居る町の方がすごい。絵を描くことが好きな千人の子供達が居る町はもっと素晴らしい」・・・

文化センター勤務時代、絵を描く楽しさを広く市民に広げるべく「日曜画家スクール」が企画されたが、極めて低額の参加費に協力業者が見つからず、困窮した米替が、三方幹雄に相談した時の口説き文句だった。

三方は後輩の申し出を快諾、昭和44年に始まったこのスクールは翌年には定員をオーバーするほどの活況を呈した。古賀耕児を筆頭に、園田真幸、大石隆、田中睦子、阿美代子、池松末人、合戸国弘など地元洋画壇の気鋭の面々が指導にあたり、昭和46年には早くもこの日曜画家スクールから二科展入賞者が出る。

その後、永く関わることになる水の祭典で「筑後川水上フェスティバル」の企画が持ち上がったときも、米替は三方に相談を持ちかけた。街の真ん中でみんながまつりを楽しんでいるときに、一人離れて筑後川でのイベントを推進する役など誰も引き受け手が居ない。「このイベントを責任もって遂行できるのは先輩しかおらんですよ」

かくして意気に感じたのかまつりの只一人の責任者としてこのイベントを成功させた三方曰く「米替、ヨットは岩登りのごつ面白かぞ」

三方とは山の先輩後輩にとどまらず深い絆を持つ米替だったが、実は昭和28年大きな事件が明善高校山岳部を襲った。(続)



DATE:Feb.2005 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。

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