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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(12)

■ 12. 日本の百年を歌う(2)

文化の仕掛人

「日本の百年を歌う」は三部構成で明治・大正・昭和のそれぞれの時代を歌で綴るものだが、楽曲の間にはナレーションが挟まれ、その当時の世相と歌をさりげなく紹介している。そのシナリオには、時代を映し出す鏡としての楽曲がとてもわかりやすくまとめられていて興味深い。

「明治14年11月小学唱歌集が初めて出版されました…もうすっかり日本の歌のようになっていますが、33の歌のうち約半分が外国の歌に日本語の歌詞を付けたもの、いわば洋楽搖籃期の落とし子ともいうべき歌なのです…」 これは「仰げば尊し」を紹介する一節。

「俺は河原の枯れススキ…」関東大震災後に大流行した「船頭小唄」には「大正のユーウツと頽廃を締めくくるもっともふさわしい歌」とのコメントが書かれている。

さて、久留米音協合唱団沖縄公演初日には多くの観客がつめかけた。三部の昭和の歌のシーンでは、次第に戦争の嵐に明け暮れた時代を象徴する軍歌が歌われていく。

「海行かば」この曲の終了と共に舞台を暗転、観客の拍手の盛り上がりと共に一気に全点し、戦後の明るい雰囲気を象徴する「リンゴの歌」がはつらつと歌われていく…という場面。それまで一曲ごとに割れるような拍手が湧いたのに、どうしたことか拍手が来ない。米替は一瞬、照明を入れるタイミングを躊躇する。

暗転の中、指揮の本間四郎の顔が心配そうに照明室の方に僅かに動いた刹那、エイヤッと一気全灯、おそるおそる客席を見た。・・観客は皆、感極まって滂沱の涙。

時は昭和45年、依然占領統治下にあった沖縄においては、未だ戦争の記憶は生々しく、大衆の心に深く響く演出になった。翌日は感動を伝え聞いた観客で立錐の余地もない超満員の公演になる。

昭和47年5月沖縄返還。その二年前の出来事だった。



DATE:Oct.2006 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。

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