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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(8)

■ 8. 本間四郎と中村八大(2)

文化の仕掛人

中村八大の石橋文化ホール初登場から二年後の昭和43年11月、本間は明善高校管弦楽部第一回定期演奏会のための相談を受ける。「予算はないが黒字が出たら八大さんに差し上げるから出演依頼してもらえないか」曲目はモーツァルト[戴冠式]だという。

「うーん、八ちゃんの事だから母校の演奏会には何とか駆けつけようが、出演料も無しで、おそらく八ちゃんも初めて弾くモーツァルトに、あの多忙な人が練習時間を取ることなどまず困難じゃないか」

ところが、本間からの電話を受けた八大は
「えっ?ボクにモーツァルトを弾かせてくれる?本当?やる、やるよ!一回、クラシックのコンツェルトをやりたかったんだ」
と並々ならぬ決意で即、返事を返した。

演奏会の10日ほど前になると、八大から連絡が来る。

「四郎ちゃん、泊めてもらえる?東京じゃ練習できないんだ」
連日舞台などが続く過密スケジュールだったが、八大は一週間前から東京の予定を全てキャンセルして、本間宅に転がり込んだ。毎日ピアノの前に6〜8時間も座り猛特訓、夜は夜で本間と指揮についての綿密な打ち合わせを行うという念の入れようだった。記念すべき明善高校管弦楽部第一回定期演奏会は文化ホールに満員の聴衆を集め、大喝采のうちに終了した。

その後も八大はしばしば久留米を訪れる。ヒットソングを次々に発表し、特に「上を向いて歩こう」では、スキヤキソングとして全米オリコン3週連続トップという前人未到の快挙を成し遂げた時代の寵児と、本業の医業の傍ら合唱の指導に演奏に、そしてまたコンサート招聘にと東奔西走して音楽に精力をそそぎ込んでいた本間四郎だったが、堅い友情を裏付けるかのように、二人はその後いくつもの感動的な演奏会を実現する。節目の演奏会では数多くの共演をこなしていった。 (続)



DATE:Feb.2006 ; on CALCATCH KURUME NEWS [Kurume City]
*カルキャッチくるめ [1992-2008;Kurume City]
ふるさと創生一億円事業を基金として久留米の草の根文化を育て、文化都市久留米を創出していく目的で1992年に設立された。正式名称「久留米市文化創生市民協会」。100人を越す民間ボランティアで構成、自主事業、人材開発事業など様々な活動を行った。2008年3月解散。

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