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 文化の仕掛人 米替誓志の軌跡(22)

■ 22. まつりバカの系譜(1)

文化の仕掛人

「お前、ちょっと行ってきてくれ」

当時文化センターで「歌と踊り市民の夕べ」などの企画を担当していた米替誓志青年に白羽の矢が立ったのは昭和47年。近見敏之市長の肝いりで各団体や有識者などを集めた「祭り研究会」が発足、そこでは当時バラバラに行われていた夏の祭事をひと括りにし、新しく「水の祭典」としてスタートさせるべく議論が重ねられていた。

実は「久留米まつり」の名を冠した祭事は、昭和22年から17年間行われていた。もともと筑後地区の重要な商都である久留米には、江戸時代から「祇園祭」「ご繁昌」など、その時代の文化をリードする華やかな祭りが行われていた。

戦後の荒廃からの復興を期したこの「久留米まつり」でも、九州初のミスコンともいうべき「ミス久留米顕彰会」が開催されるなど、かなりの賑わいを見せていたという。

新しモン好きはいいが「飽きヤスの好きヤス」が久留米人気質。水の祭典と同時期に始められた類似の仕掛けに「春の祭典」「秋の祭典」などがあったのだが、いずれもいつのまにか消滅している。

その中で夏の水の祭典だけは戦後最長の祭事となって、今もなおますます多くの参加者を集めている。全国を見渡しても神事以外の祭りでこれほど永く続いている市民祭は希有なものだろう。一体何故、これ程までに市民に支持され続けているのだろうか。

このコラムは40年にわたって水の祭典に寄り添ってきた米替氏の目を通して、その生い立ちを振り返ってみる。

今年の本祭まで四ヶ月、よろしくお付き合いください。

DATE:Apr.2011 ; on KURUME STYLE


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