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 くるめの歳時記

■田主丸耳納の市「虫追いまつり」
田主丸耳納の市「虫追いまつり」

先日カミサンと初めて田主丸の「虫追いまつり」を見に出かけた。

このまつりは田主丸で3年に一度のペースで行われている。もともと江戸時代から300年以上続いている由緒正しい?伝統のまつりだ。戦後途絶えていたものを地元青年部などの主催で1974年に復活、今年がその12回目の開催になる。

毎年、久留米の夏祭り「水の祭典」に出演を続けていて、それは見て知ってはいたのだが現地で行われる本場のまつりを見るのは今年初めてだった。

虫追い祭りは全国各地で行われている。一般に農村で害虫を追い払うため鐘や太鼓を打ちならすことで始まったとされているが、田主丸のそれはひと味もふた味も違う。2対の武者人形を高さ約3mの青竹の上に高々と掲げ、藁で作られた大掛かりな黒馬とともに戦いを演じる、いわば喧嘩まつり。

総勢100人近くの人で行われ、昼間には地元商店街などを練り歩き、市内の月読神社で最初の演技。その後、この時期に広場で開催されている「田主丸耳納の市」の会場で2度目の演技、そして圧巻は夜、巨瀬川の川の中でかがり火を焚いて行われる。

平家物語に登場する「篠原の合戦」を模した演舞で、斉藤別当実盛と手塚太郎光盛の戦いを演じてみせる。11月の冷たい川の中に大勢の男衆が水しぶきを上げて演じる様はなかなかに壮観だったが、ドン、シャンという鐘、太鼓の響きにあわせて演じられる歴史絵巻は、古式ゆかしい情緒をもあわせもち、幻想的な風物詩になっている。

それにしても、一体何故この田主丸で北越前の篠原の合戦が演じられるのか不思議な気もするが、いろいろと調べても定かな謂れはわからなかった。

ここから先は私の勝手な推測。 もともと、筑後川近辺に平家の落人の伝説は数多い。久留米にある全国総本宮の水天宮も建久年間(1190-99年)に、平家が壇ノ浦の戦いで破れた後、官女按察使局が筑後川の辺り鷺野ケ原に逃れ来て祀ったもので、他にも筑後川流域にある平家伝説は枚挙にいとまがないほどだ。

しかも何故か、どちらかというと皆、平家びいきな伝説が多い気がする。

篠原の合戦の様子は、その後様々に引用される示唆に富んだ物語だ。源氏の追手として登場する手塚太郎はこの時10代か20代の若武者だが、実盛は既に73歳の老武者。なれど、それを悟られるのは戦いの場で武士の沽券に関わると、白髪を黒く染めて戦いに臨む。

平氏敗走の中、自軍を助けんがため、ただ一騎、追手の源氏に立ちはだかった実盛は実はその昔、この時の相手の手塚光盛の主君、木曾義仲が駒王丸と呼ばれていた幼少の頃命を助けた経歴を持つ。

しかしながら、戦いの場に情けは不要とばかり、一切名を名乗らずに手塚に挑む。戦いは郎党の一人を討ち取る刹那、弓手(ゆんで)に回り込んだ手塚に討ち取られると云う結末なのだが、名も名乗らず、しかも従者も無きただ一騎で向かってきた割には、その鎧の下に立派な錦の直垂を身につけていた。

不思議に思った手塚はその首を義仲に差し出すと、はたしてそれは幼少の頃自分を助けた実盛だった。この時、確信を得るために首を洗い、白髪を顕にした池が今も彼の地(石川県加賀市)に残っているという。

ちなみに米を食べる害虫のウンカに「実盛虫」などというありがたくない名前も冠されているが、これは手塚との一戦で実盛の馬が稲の切り株に躓いた隙に討ち取られ、これを怨んだ実盛の怨念がウンカとなって稲に害をもたらしていると云われているため。躓きの件はたぶんマユツバだろうが、そもそも虫追いの行事はこの実盛の霊を鎮めるために始まったとも云われている。

実盛は後の世で、謡曲の題材になり、また松尾芭蕉の一句にもなるなど、平家物語の中でも際だった悲劇のヒーローだ。

時世のいたずらとは云え、実盛を討つことになった義仲、名も名乗らず知る由もなかったとは云え、主君の命の恩人の首をはねた手塚太郎。それぞれの心の葛藤がこの物語が永く伝説として語りつがれる所以になっているのだろう。

田主丸の虫追い行事のさなかに行われている解説を聞くと、虫追いそのものは必ずしも害虫退散の為に行うのではなく、むしろ、虫追いをする事によって米の出来の悪さをアピールし、年貢をまけてもらうための口実作りにされたという。

しかしながら、300年の時を越えこのまつりが続いていったのは、そういう実利的なことよりもむしろ、源平の戦いの中、己の運命に関わらずに貫かれた実盛の矜持と、恩人を討ち取ってしまった義仲、手塚の悲哀が多くの人々の心を打ったからにに違いない。

平家の落人を手厚くもてなしたというこの地のならわしが、この物語に息吹を与えているのかも知れない。

そういえば、日本漫画の大家、手塚治虫は手塚太郎光盛の末裔だと云われていたとか。未完の壮大な物語「火の鳥」の乱世編では、物語に登場する手塚太郎光盛の顔は手塚治虫その人の似顔絵、あのお馴染みのキャラクターで描かれている。